アルファのコートにサンダルで来てしまいました。
こんな山道だと思いませんでしたよ。
天栄村にある妙見神社に行ってまいりました。
天が栄えると書いて天栄。
確かに神社仏閣が沢山ございます。
実のところ私は住居は別ですが、天栄村役場の近くに事務所がございます。
こちら、須賀川市の住所となっておりますが、道路を挟んで天栄村となっております。
祖母は天栄村の松本の出身でございます。
ですから、天栄村も大好きです。
私は以前から気になる山がございました。
その山の前を通るたびに何故かとても魅かれるものがあったのです。
あまりにも気になるので、今日(2013年12月1日)はその山に行ってまいりました。


まずは入り口がわからないので車でぐるっとまわろうと思いましたが、行き止まりになってしまい逆の方向へむかいましたら神社を発見。
ここだと思い、同行者(運転してくれている家族)を車に置いて一人でご挨拶へ向かいました。


震災で鳥居が倒れてしまったのでしょうか。
(後からわかりましたが、これは鳥居が倒れていたわけではなく、旗を揚げる為の支える石でした)

奥へ進むと神社がございました。
早速、ご挨拶いたしました。




森寅之助翁高徳碑
翁は天保六年四月上松本日向屋敷に生まれた。始めは村の中流以上の資産を有して居たが、多数の家族を擁して没落のやむなき事情に至った。然し早く妻を失った翁は失望落胆せず、売薬行商の傍らよく家業を助け、着々家運を面復し且つ公益に盡力するようになった。當時松本に於ける若干の區有山地が荒れ果てゝ顧る者が無かったので、翁は區の将来の為めに植林を思い立ち區民に謀ったが、至難の事業として一人の協力者もなかった。そこで翁は明治三十七年單独七十歳の老?をもって、家業の間に二千余本の杉苗をこゝに植付けて手入れをすること数年、すくすくと延びてゆく様を見ながら明治四十四年の秋これを區に引渡したのであった。思うに區有財産の今日あるは全く翁の功績と言わなければならない。かくして翁は八十一歳の天壽を全うして大正四年四月二十三日に歿した。滋に區民一同その功徳を追慕敬仰し記念碑を建て永遠にその徳をたゝえるものである。
邃軒 矢部保太朗撰文并書
と、書かれております。