この日は須賀川市本町の等躬さんを見にきました。

大町の景色も震災でだいぶ変わってしまいましたね。

本町につきました。
久しぶりに等躬さんのところに来ましたよ。
私は小学校から二十代終わりまでここらへんに住んでいたので懐かしいです。





元禄二年新暦の六月九日芭蕉と曾良は等躬を訪ねて須賀川へ入りました。
「奥の細道」の本文に「すか川の駅に等躬というものを尋ねて、四、五日とゞめらる。」とあります。
その等躬宅は、現、NTT須賀川の付近にありました。
等躬は本名を相楽伊左衛門と言い問屋の仕事をしながら、その商業活動のために江戸へ度々出かけていました。その間に江戸での俳諧活動も持たれ、芭蕉との関係がうまれました。等躬は奥州俳壇の宗匠としてその地位にあり、芭蕉に多くの情報を提供し、「みちのく歌枕の地」探訪の旅を助けました。
風流の初めや奥の田植え歌 芭蕉
覆盆子を折りて我まうけ草 等躬
水せきて昼寝の石やなをすらん 曾良
ここ、「軒の栗庭園」は、等躬の住む本町に芭蕉が逗留し
世の人の見つけぬ花や 軒の栗 芭蕉
と詠まれたことから名付けられました。
平成十三年 三月
本町々内会
と、書いてあります。

等躬さんを撮影しておりましたら、ダンディな大人の男性の方々お二人に話を掛けてもらいました。
そして、こちらの石碑の説明をしてくださいました。↓↓↓

「この石碑は元々、ここ、軒の栗庭園ではなくあっちにあったのだよ。」
と中町方面を指さし説明してくださいました。
「この石も写真にとりなよ」↓↓↓

とデカイ文鎮のような石を指差しました。
私は早速写真を撮影させていただきました。
「これはね、馬をつないでいた石なんだよ。」
と教えてくださいました。

なるほど、多分こんな感じでしょうか?
とても勉強になりました。
となりには展示会もしてる蔵つくりの建物があります。
ここの持ち主の方だったとおもうのですが、私は人見知りなので詳しくは聞けませんでした。